2018年南極カレンダーに
公益財団法人日本極地研究振興会が制作している、南極カレンダーの2018年版に私の写真が採用されました。
2018年版 南極カレンダー | 公益財団法人日本極地研究振興会
昨年10月23日に、南極大陸を旅しているときに撮影した、日暈と雪上車の写真です。
気温はマイナス20度くらいでした。これくらいなら、風が弱ければ外に出るのはそんなに辛くないです。手袋をつけた指で、ふつうにシャッターを押せます。
カレンダーの大きさは横36センチ、縦52センチ。けっこう大きいです。各月1枚の12枚に解説がついて1部1,000円(税込)は、良心的なお値段だと思いますよ。
カメラ好きの方のために、撮影スペックを記しておきます。
カメラ Nikon D3300
レンズ SIGMA 10mm F2.8 EX DC FISHEYE HSM (対角魚眼レンズ)
ISO 100 絞り f14 露出時間 1/800秒
撮影日 2016年10月23日
撮影場所 南極大陸・S27
南緯69度2.26分 東経40度32.78分 標高922メートル
講演するとき心がけていること
暑い夏休みと寒い南極は相性が良いのでしょうか、有料の科学イベントから農園まで、8月にはあわせて4か所で南極のお話をしてきました。講演への準備をちょっと紹介しましょう。
- 想定されるお客さんにあわせて、パワーポイントの資料は毎回作りかえます。
- オーロラやドローンの動画は反応がよろしいので、聞き手が眠くならないようにうまく分散して配置。
- パワポのスライドは印刷して、時間内のペース配分をメモしておく。講演中も"ラップタイム"を確認。(ときどき腕時計を見るのは、はやく帰りたいからじゃありませんよ。)
- パワポのファイルとpdfに変換したファイルをUSBメモリにコピーして持っていく。万一、パソコンにトラブルがあっても最低限の仕事はできるように。
といっても、美しいパワポを作ることを目的にしちゃいけないと思っています。色使いやグラデーションはなるべく簡潔に、せっかくライブの場を与えてもらったのですから、しゃべりで勝負したいものです。
理想を言えば、パワポに頼らなくても、お客さんの脳内に絵を送り込めるような講演。つまり、目指すは南極漫談…なのか?
自分が出演したテレビとラジオ
RSK山陽放送からテレビとラジオのDVDとCDを送ってもらって、自分が出演したテレビ、ラジオを見聞きすることができました。
(放送したものをwebで紹介することはできない決まりになっているそうです。)
テレビのほうは、1時間ちょっとのインタビューが4分間にまとめられていて、さすがはプロの仕事だと感心しました。それと、画面で見ると痩せていましたね、自分。帰国直後に比べると3キロくらい減です。関東の8月はそんなに暑くはなかったのですが、やっぱり夏バテでしょうか。
ラジオはテレビとは対象的に、スタジオについてちょっと挨拶しただけで「え、もうはじまっちゃうの?」という感じの生放送でした。それで15分のコーナーをおしゃべりして、ちゃんと着地させるのですから、これもまたプロの技です。
それから、気をつけたつもりでしたが、テレビ、ラジオともにちょっと早口だったようです。次の機会があればもうちょっとゆったりとお話したいものです。
植村冒険館でカメラを見てきました
私が見たかったものはこれ、ニコンF2チタン・ウエムラスペシャル。
30年以上前ですから、写真はフィルムに記録されています。極寒の地では、フィルムが破損したり、潤滑油が固くなって動きが悪くなったり、バネが効かなくなったり、といった不具合がおこります。さらに、犬ぞりに積まれて常に振動にさらされるので、頑丈なボディを・・・とニコン(当時は日本光学工業)が特注品として作ったカメラです。3台製作されて、一つは植村冒険館に、一つは兵庫県豊岡市の植村直己冒険館に、そしてもう一つは植村さんが消息を絶ったアラスカ・マッキンリーのどこかにあるのだそうです。
昭和基地でデジタルカメラを使った経験では、バッテリーがはやく消耗してしまうくらいで、そんなに困ることはありませんでしたが、フィルムカメラは可動部分が多いですから、低温でのトラブルは深刻です。
植村さんの著作を読んで感じるのは、記録することに対する誠実さ、とでもいいましょうか。たとえば、果てしなくつづく氷のブロックを鉄棒で砕いて進路を切り開く、というような厳しい状況のもとでも、セルフタイマーで自分の写真を撮影されています。南極大陸でちょっとだけ似たような経験をしたのですが、三脚を立ててカメラをセットして、タイマーを掛けて走って戻って作業、なんてとてもやってられない。
記録して、それを世の中に還元しないと、冒険は意味をなさない、と考えていたのではないでしょうか。
植村さんの本で、私が一番好きなのはこれです。 巻末に収録されたエッセイ「遊びをせんとや生まれけむ」は、冒険することエッセンスが詰まった名文だと思っています。
植村直己と山で一泊―登山靴を脱いだ冒険家、最後の世間話 (小学館文庫)
- 作者: ビーパル編集部
- 出版社/メーカー: 小学館
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富士山の仕事と南極の仕事
今回の出張では、7月に設置して観測していた機器を取り外して運び下ろしてきました。
8月24日、25日ともにいいお天気に恵まれて、順調に仕事がかたづきました。
富士山の一番高い所、剣ヶ峰が火口の向こう側に影を落としています。
2004年に無人化されるまで70年以上、富士山頂では人による気象観測が続けられていました。気象庁から南極観測隊に派遣されるためには富士山での勤務経験があると有利、と言われていたころもあります。
富士山は気温が低く、風も強く、水がとても貴重、と極地に似た条件ではありますが、気圧が低い、というのが昭和基地とは決定的に違います。
すこしあるいても息切れがする、重い物を運んでいると立ちくらみがする、など空気が足りないことを実感しました。一晩寝ればだいぶ慣れますが、長く横になっていても眠りは浅く、山を下りてもしばらくは身体にダメージが残っている感じです。
この本によると、何日も滞在した測候所員でも、風邪などちょっとした不調から意識がおぼつかないくらい重大な高山病になったことがあるそうです。まして、一ヶ月ぶりに山を上がってくる素人ですから、前の晩はお酒を飲まずに早寝して、体調には気を遣いました。
この本は、測候所で勤務している職員の日誌が元になっています。「こんな危険な、しんどいところで観測を続けていく意義があるのか?」という記述もありました。
富士山での観測は、主な目的が高所の気象観測からレーダーによる台風の監視へと移り、気象衛星など代わりの手段が得られたことで測候所としての使命を終えました。
そして今は、高所の大気中の化学物質の調査など、ここでしかできない観測が研究者によって行われています。
そして、「ここでしか見えないものを見る」ために寒いなか、世間と隔絶された環境で南極観測が続けられています。