世間がもし30人の基地だったら

日本南極地域観測隊に参加して、2015年12月に日本を出発しました。昭和基地で南極の冬を過ごして、2017年3月23日に帰国しました。帰ってからも南極に関わることがときどきあるので、更新を続けています。

【書評】南極越冬日記 中野 征紀 著

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 第一次日本南極地域観測隊長の「南極越冬記」を読んで、「立派な人の指揮下にいるのは大変だろうなあ」という感想を持ったのですが、その指揮下にいた人の手記が食堂書架にありました。

 amazonでは2016年3月26日現在で「中古品の出品:1点、8750円」です。昭和基地で読んでおかないと、次の機会はないでしょう。

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  著者は、第一次隊で越冬したお医者さんです。「南極越冬記」と同じく、日記から稿を起こしていて、なかなかに豪快な書きっぷりです。隊員全員の血圧の推移を実名入りの表で載せたり、誰それが腹痛だの歯痛だの、日付入で記したりしています。そのほかにも紹介するのが憚られるような記述もあります。この本が出たのは1958年。世の中がのんびりしていたんでしょう。

 いちばん興味のあった隊長と隊員の関係の記述も、期待に違わず明快です。”隊長がいないとのんびり”とか、”鬼の居ぬ間の云々”などなどあけすけに書いてあります。立派な人の指揮下にいるのは、やっぱりしんどいものだったのでしょうね。
 記述が突然熱を帯びるのは、一年近く昭和基地で過ごした後に、「宗谷」発の飛行機からパラシュートで投下された資材を受け取る日のこと。生鮮食料品と手紙の束を受け取ってみなの顔は一様に笑いが止まらないのである。日本との連絡手段は無線通信だけだった、当時の隊員の心境が偲ばれます。
 「宗谷」が氷盤に囲まれて身動きが取れなくなり、第二次隊の到着が大幅に遅れることがわかった1月下旬、筆者は西堀隊長に呼ばれて、二年目も継続して越冬できるかどうか打診されています。返答は「本観測の越冬作戦がそれで助かり、成功するようなら残りますよ」。この文章は、私自身にも腑に落ちるものでした。南極では、高揚感や悲壮感よりも、淡々とした義務感のほうが大切だと、わたしは思っています。

  「南極越冬記」とくらべて読むと、とても面白いよみものでした。

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