季節感について考える
「はてなブログ フォトコンテスト 2016夏」の"ピックアップ10作品"に選んでいただきました。 "Tシャツ当選3作品"にはなりませんでしたが、わたしの場合、Tシャツを頂戴しても郵送してもらうわけにはいかないので、栄誉をいただければ十分うれしいです。
いや、うまいこと手配すれば、この秋出航の「しらせ」に積んでもらって、12月に受け取れたかな?
さて、今回の応募でわたしの写真が選ばれた、というのはちょっと意外でした。写真の出来はともかく、"2016夏"というコンテストの趣旨にはマッチしていないのでは、と思っていたからです。ペルセウス座流星群を見て夏を感じるひとは、少数派でしょう。でも、日本の夏と昭和基地の6,7,8月をつなぐ季節感は、これくらいしかなかった。
昭和基地に来て9か月近くが過ぎました。ここで感じる季節の移り変わりは、ある意味鮮烈です。太陽が沈まない白夜から昇らない極夜まで半年足らずで移り変わっていくので、太陽の昇る・沈む時間が日々変わるのが実感できます。一方で、朝日・夕日も、オーロラも、月も、野外活動も、すべてが昼/夜の長さに帰着するように思います。こいのぼりを上げたり、七夕飾りを作ってみたりもするのですが、これらは日本と季節感をつなぐために、あえてやっているという側面もあるのでしょう。
實際滿洲とか西比利亞(シベリア)とか露西亞(ロシア)とか、あゝいつたやうな單調な風土氣候をもつた國の住民の中から當然ニヒリズムや、マルキシズムは生れても俳句が生れようとはどうにも想像されにくいことである。
という一節があります。ロシア、シベリアよりも単調な風土気候をもった南極の住民から俳句は生まれるのか? 毎月の「俳句マガジン」への寄稿は、寺田寅彦への挑戦でもあります。(←いくらなんでも大げさな。)