世間がもし30人の基地だったら

日本南極地域観測隊に参加して、2015年12月に日本を出発しました。昭和基地で南極の冬を過ごして、2017年3月23日に帰国しました。帰ってからも南極に関わることがときどきあるので、更新を続けています。

植村冒険館でカメラを見てきました

8月27日、板橋区にある植村冒険館に行ってきました。

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www.uemura-museum-tokyo.jp

 

私が見たかったものはこれ、ニコンF2チタン・ウエムラスペシャル。

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30年以上前ですから、写真はフィルムに記録されています。極寒の地では、フィルムが破損したり、潤滑油が固くなって動きが悪くなったり、バネが効かなくなったり、といった不具合がおこります。さらに、犬ぞりに積まれて常に振動にさらされるので、頑丈なボディを・・・とニコン(当時は日本光学工業)が特注品として作ったカメラです。3台製作されて、一つは植村冒険館に、一つは兵庫県豊岡市植村直己冒険館に、そしてもう一つは植村さんが消息を絶ったアラスカ・マッキンリーのどこかにあるのだそうです。

 

昭和基地デジタルカメラを使った経験では、バッテリーがはやく消耗してしまうくらいで、そんなに困ることはありませんでしたが、フィルムカメラは可動部分が多いですから、低温でのトラブルは深刻です。

 

植村さんの著作を読んで感じるのは、記録することに対する誠実さ、とでもいいましょうか。たとえば、果てしなくつづく氷のブロックを鉄棒で砕いて進路を切り開く、というような厳しい状況のもとでも、セルフタイマーで自分の写真を撮影されています。南極大陸でちょっとだけ似たような経験をしたのですが、三脚を立ててカメラをセットして、タイマーを掛けて走って戻って作業、なんてとてもやってられない。

記録して、それを世の中に還元しないと、冒険は意味をなさない、と考えていたのではないでしょうか。

 

植村さんの本で、私が一番好きなのはこれです。 巻末に収録されたエッセイ「遊びをせんとや生まれけむ」は、冒険することエッセンスが詰まった名文だと思っています。

植村直己と山で一泊―登山靴を脱いだ冒険家、最後の世間話 (小学館文庫)

植村直己と山で一泊―登山靴を脱いだ冒険家、最後の世間話 (小学館文庫)

 

 このエッセイを書いた湯川豊さんは、文藝春秋社で植村さんの活動を支えてきた人です。