越冬を数字で振り返る・その1 ブリザード (代理人更新)
本日から3日間、越冬を数字で振り返ります。
まずブリザードがやってくるあたりが、南極ですね。
ブリザードの後にすることは除雪作業。除雪作業をする人は越冬隊員(だって昭和基地には越冬隊30人しかいなかったから)なので、心も体も大変だったと思います。
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わたしたち57次隊はブリザードが多かったなあ、と言われていますが、実際にどれくらいだったのか。外出注意令、外出禁止令が出ていた時間帯を合計してみたら、2016年2月から2017年1月の一年間のうちだいたい11%に外出制限がかかっていました。
外出禁止令が244時間、外出注意令が938時間。以前の隊のデータは手元にないので、どれぐらい多かったかの比較はできないのですが、366日のうち、のべ39日間あまりが外出制限の中でした。
月ごとの時間帯を見ると、内陸旅行に出かけていた10月が一番でした。不運でしたね…。
58次隊は越冬開始直後に外出注意令が出てしまいましたが、このあとは好天に恵まれますように。
デスクワーク (代理人更新)
ご本人、しらせ用に買った大型ディスプレイをえらく気に入って使っておられるようですが、帰ってきたらどうするのだろう?
はっきり言いますが、これを置く場所が家にはありません。
きっと、ご本人の帰国とともに、そういう意味不明なものがいっぱいやってくるのだろうなぁ・・・。あっ、ご本人の帰国は飛行機だから荷物は一部で、しらせ帰港の後が残り全部なはずだ。
あぁ、何を持ち帰るのだろう?段ボールで何箱なんだろう??誰が片づけるのだろう???想像しただけでも恐ろしい・・・。
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報告書を書いたり、昭和基地で観測したデータの解析をしたり、船内でもパソコン仕事はしています。
揺れる船の中では、画面が大きくないと辛い。大型ディスプレイを買っておいてよかったです。倒れないように、テープで固定しています。
DVDを見るときにも画面が大きいほうが楽しいですしね。
身体を動かしましょう (代理人更新)
気がつけば、代理人は1か月以上ブログの更新をしているなぁ。
ということは、ご本人は1か月以上しらせに乗っているんだぁ。
やっぱり、そういうことをしたいよね。
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朝8時から午後6時半まで、艦上体育が許可されます。観測隊員だけでなく、自衛隊員のみなさんも空き時間を利用して、甲板を走っています。
氷山をバックにテニスをする人も。
柵は腰くらいの高さですから、かなり上手くないと、ボールがいくつあっても足りません。
天気の悪いときは「艦上体育は艦内のみで行え」という放送が入ります。
船内には「保養室」という名前のジムがあって、ここで汗を流す人もいます。
氷山をバックに飛ぶ鳥 (代理人更新)
帰国まであと2週間となりました。
予定が決まったり、「よかったね」とお声かけいただくことが多くなったのですが、未だ再会のイメージができないし、そもそもお迎えの準備が進んでいるのか、もうよくわかりません。
気ぜわしい
ただそれだけです。
愚痴ってないで一つ一つ仕事をこなしていくしかないのですが、ぐじぐじ・ぶすぶす、うだうだ・・・。
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3月3日の午前、クジラが見えるとの艦内放送を聞いて、カメラを持って外に出てみました。何頭ものクジラが潮を吹いていて、その上に鳥(たぶんカモメのなかま)がたくさん飛んでいました。
オキアミがたくさんいるところには、オキアミを食べるクジラも鳥も集まってきます。
極地での活動を終えて考える (代理人更新)
本日の記事、ご本人はさらっと書いておりますが、代理人的には「閉鎖空間の極意がここに!」なんてタイトルをつけちゃいたくなります。
2月にしらせが南極を離れたら、次のしらせがお迎えに来るクリスマスの頃(順調にいけば)まで補給がありません。第57次越冬隊でいうと越冬隊30人以外の人と逢うことができません。完全なる閉鎖空間・無補給です。
チームで行うスポーツに例えると、ベンチ入り選手がいません。ケガをしても自分の代わりはいないし、救急車は来ないどころか他の隊員が救助活動を行うことになります。
なので、不測の事態が発生しても対応できる力を常に用意しておくことが求められます。
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アムンゼン湾での野外活動を最後に、わたしの極地での仕事は終わりました。
ホッとした、というのが正直なところですが、達成感のようなものは、そんなにありません。全力を尽くしました、ということがなかったからかもしれません。
「南極では100%の力を出さない」というのは、ある程度意識してきたことです。言い換えると、常に余力を残して活動してきました。極地では、駅伝やマラソンのようにゴールして倒れ込むような行動をしてはいけないとおもっています。ゴールだと思って着いてみたらまだまだだったり、到達直前に思わぬ困難があるかもしれない。例えば、アムンゼン湾での仕事は日帰りを3回でしたが、毎回、テントと食料と水3日分をヘリコプターに積んで往復させました。日帰りの予定でも、3日くらい帰れないという事態を覚悟した上で行動しているということです。
計画されている仕事に100%の力を出していたら、アクシデントがあったときに対応する余力が残っていないかもしれません。そうしたら、極地では命の危険にさらされます。駅伝やマラソンのように棄権ができるものではなく、火事場の馬鹿力をあてにするのは賢明ではありません。
もちろん、手を抜くわけではなく、疲労困憊するまえに休む。意識して早寝する。お酒をやめて、せめて内臓だけでも休ませる、などなど…。コンディションを整えて、常に余力を残すように心がけていました。
すべてうまく行きました、とは言えないかもしれませんが、どうやら無事に14か月のマラソンを走り終えました。