世間がもし30人の基地だったら

日本南極地域観測隊に参加して、2015年12月に日本を出発しました。昭和基地で南極の冬を過ごして、2017年2月1日に次の隊と交代。3月23日に帰国しました。帰ってからも南極に関わることがときどきあるので、更新を続けています。

極地での活動を終えて考える (代理人更新)

本日の記事、ご本人はさらっと書いておりますが、代理人的には「閉鎖空間の極意がここに!」なんてタイトルをつけちゃいたくなります。

2月にしらせが南極を離れたら、次のしらせがお迎えに来るクリスマスの頃(順調にいけば)まで補給がありません。第57次越冬隊でいうと越冬隊30人以外の人と逢うことができません。完全なる閉鎖空間・無補給です。

チームで行うスポーツに例えると、ベンチ入り選手がいません。ケガをしても自分の代わりはいないし、救急車は来ないどころか他の隊員が救助活動を行うことになります。

なので、不測の事態が発生しても対応できる力を常に用意しておくことが求められます。

  

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アムンゼン湾での野外活動を最後に、わたしの極地での仕事は終わりました。
ホッとした、というのが正直なところですが、達成感のようなものは、そんなにありません。全力を尽くしました、ということがなかったからかもしれません。
「南極では100%の力を出さない」というのは、ある程度意識してきたことです。言い換えると、常に余力を残して活動してきました。極地では、駅伝やマラソンのようにゴールして倒れ込むような行動をしてはいけないとおもっています。ゴールだと思って着いてみたらまだまだだったり、到達直前に思わぬ困難があるかもしれない。例えば、アムンゼン湾での仕事は日帰りを3回でしたが、毎回、テントと食料と水3日分をヘリコプターに積んで往復させました。日帰りの予定でも、3日くらい帰れないという事態を覚悟した上で行動しているということです。
計画されている仕事に100%の力を出していたら、アクシデントがあったときに対応する余力が残っていないかもしれません。そうしたら、極地では命の危険にさらされます。駅伝やマラソンのように棄権ができるものではなく、火事場の馬鹿力をあてにするのは賢明ではありません。
もちろん、手を抜くわけではなく、疲労困憊するまえに休む。意識して早寝する。お酒をやめて、せめて内臓だけでも休ませる、などなど…。コンディションを整えて、常に余力を残すように心がけていました。
すべてうまく行きました、とは言えないかもしれませんが、どうやら無事に14か月のマラソンを走り終えました。