世間がもし30人の基地だったら

日本南極地域観測隊に参加して、2015年12月に日本を出発しました。昭和基地で南極の冬を過ごして、2017年3月23日に帰国しました。帰ってからも南極に関わることがときどきあるので、更新を続けています。

昭和基地の夏を考える

 12月23日に昭和基地に入ってから4週間あまりが過ぎました。1月20日は休日日課でした。元日、1月8日につづく3回めのおやすみです。わたしは観測機器の設定やコンテナからの荷出しなど、すこし仕事をしていましたが、追い立てられる感がすくなく、いくぶんリラックスできました。

 南極観測隊に参加したことのある人に聞けば、ほぼ全員が「昭和基地の夏はつらい」と言うのではないでしょうか。わたしも、正直しんどいです。昼食後のお昼休みに居眠りするのは、まあ、普通です。ある日の午後、引き継ぎの最中に、立ったまま睡魔に襲われて、膝がカクンとなることがありました。これには我ながら驚きました。

夏期間のタイムスケジュールは
 6時半から7時半まで朝食。
 7時45分からラジオ体操・朝礼。
 8時から午前の作業開始。途中15分の休憩。
 12時から昼食。
 13時から午後作業。途中15分の休憩。
 19時から夕食。
 19時45分から全体ミーティング。
 20時から23時まで入浴可。
 残業は20時以降にすることになります。日の暮れない南極の夏ですから、屋外での作業も遅くまでできます。

 スケジュールだけ見れば、そんなに厳しいわけではないです。日本にいても夜まで仕事することはあります。よく「慣れない建築作業などで疲れるのだ」と言われますが、観測引き継ぎのような、あまり筋肉を使わない日々でも、くたびれたなあと感じます。

 わたし自身は、いちばん堪えているのが、夏の環境の厳しさでしょうか。
 仕事もお天気次第で先の予定が見えない。つぎの休日もいつになるかわからない。(前日の晩のミーティングで、明日は休日日課にします、という連絡が入ります。)住環境は、二段ベッドの第二夏宿舎で、お風呂では手洗濯。
 こうしたなかで、同じ人と顔を合わせ続けると、ちょっとした言動がきつく感じたり、あるいは自分もきつい言葉を発していることがあるのかもしれません。で、気を遣う。疲れる。
 被災地の暮らしってのはきつかったんだろうなあ、と今さらのように思います。

 実際のところ、全てはやむを得ないのです。夏の仕事は12月下旬から2月半ばまで、50日あまり。その間にしらせから積み荷を運びこんだり、建物を作ったり、あたらしく機器を整備したり、観測装置の扱いや基地内の設備操作を引き継いだりしようと思ったら、時間がいくらあっても足りないような気がして、できるかぎり仕事を進めたいです。住環境にしても、2月から12月までの10ヶ月は30人で暮らす基地に、100人が快適に過ごせる環境を整備するのも無理があります。

 結局は自分のからだは自分で気を遣うしかない。
 私が気にかけていることは、意識して早寝早起きして、白夜のなかでも生活リズムを保つこと、お酒を控えて、せめて内臓だけでも休ませてやること。
 元気で夏を乗り越えて、越冬生活に入りたいものです。