世間がもし30人の基地だったら

日本南極地域観測隊に参加して、2015年12月に日本を出発しました。昭和基地で南極の冬を過ごして、2017年3月23日に帰国しました。帰ってからも南極に関わることがときどきあるので、更新を続けています。

昭和基地での最後のお仕事、とBAR (代理人更新)

ご本人が昭和基地を離れたようです。インターネットがつながらなくなったようです。そのため、出番がまわってきた代理人でございます。

しらせがオーストラリアに戻るまで、ご本人から代理人に記事をメールで送る予定なので、これから1か月以上は代理人更新となります。

記事を送ってくるはずなので

( ↑ 強調しときます )

毎日更新、頑張りますよ~。

代理人更新という任務を全うしますよ~。

みなさん、おつきあいくださいね。

わかりにくいのですが、ご本人が昭和基地を離れただけで、しらせが出発したわけではありませんよ。

 

・・・・・・・・・・・・

 

2月3日、雪はやみましたが、観測の都合でわたしたちがヘリコプターで「しらせ」に帰る予定はありませんでした。朝のうちは風が強かったのですが、昭和基地では日常の作業が始まります。居候の元・越冬隊員もお手伝いに行きました。

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午前中は手掘り除雪から。もう、雪かきはいいや。スコップはしばらく持ちたくないです。

 

午後はレーダーサイトでアンテナタワーの組み立てを手伝いました。

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高さ11メートルくらいのタワーを組み上げましたが、立てるには時間が足りませんでした。

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これが昭和基地での最後の仕事になりました。

 

夜は58次隊のBARの開店に出かけてきました。開店には共同通信RKB毎日放送の取材も入っていました。

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謎のメイドさんも出現。代替わりしてだいぶ雰囲気が変わりました。

 

このあと夏宿舎で呑み直して、昭和基地でのわたしの最後の夜は更けていきました。

…「しらせ」にもどったら、節制しないとなあ。

夏宿舎で停滞

2月1日のお昼前には、わたしたち57次隊は第一夏宿舎に移りました。30人の元・越冬隊員のうち、18人はしばらく残って基地の仕事を手伝い、12人は「しらせ」に移動することになっていましたが、強風と雪のためヘリコプターが飛べないため、みんな夏宿舎で待機することになりました。

風雪は強まって夕食前には外出注意令が出ました。58次隊のみなさんは越冬初日からの悪天で、試練のスタートになってしまいました。

2月2日の朝、夏宿舎から見た雪景色です。

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私の滞在した第一夏宿舎は向かい合わせで2段ベッドの4人部屋。共有スペースも狭いのですが、内陸旅行での雪上車内の停滞に比べると、ごく快適です。

 

nankyoku-30nin.hatenablog.com

 

57次の越冬経験者はおちついたものです。船の中で書く予定だった報告書や原稿を準備したり、思う存分お昼寝したり、私は俳句をひねったり。

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一方で、給水設備のトラブルがあって、復旧のために吹雪の中に出ていった隊員もいました。おつかれさま。

 

 

夏宿舎については昨年の1月に紹介した記事をごらんください。 

nankyoku-30nin.hatenablog.com

 

 

nankyoku-30nin.hatenablog.com

 

参加者から見た越冬交代

平成29年2月1日、57次隊から58次隊への越冬交代式は、風が強くて雪が降ってきたため、管理棟食堂で行われました。
会場設営が終わったところです。

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式典では、第57次、第58次越冬隊長挨拶のあと、両方の越冬隊員の名前が読み上げられ、一人ずつお返事します。

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第57次越冬隊長挨拶のご挨拶。参加者の写真撮影については何も言われてません。並んでさえいれば、カメラを構えててもおとがめなしです。

 

そのあと、握手しながら、57次隊と58次隊が位置を替わります。

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両隊が一列ですれちがいながら一人ひとりが握手していきます。外での式典ならばもうすこし余裕があるんですが。

 

位置を替わったら、越冬交代宣言。「ただいまから、昭和基地は58次隊が運営します」という声を聞いた時に、なんとなくほーっと息をつきました。停電や警報の対応にあたる電気や機械の担当隊員の緊張感に比べると、観測関係のトラブルは基地の存続に関わるものではないのですが、それでも、一年間を完走できたことに安堵した、というところでしょうか。

58次観測隊長と 「しらせ」副長挨拶のあと、鏡割り、そして報道写真に写ってしまった乾杯です。

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樽のなかはこんな感じの「上げ底」なので、そんなに酔っ払いはしないですよ。

例年だとしらせ行きのヘリコプターの時間に追われて式典終了なのですが、この日はヘリが飛ばないとのことで、のんびり日本酒を舐めながら談笑できました。

お昼過ぎ、雪の舞う中で、58次隊が私物を運び込んでいました。

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夏宿舎から個室の居住棟に移動するのは嬉しいんですよね。

越冬交代 ご本人激写される??【代理人投稿】

2月になりました。

恵方巻でにぎわっている日本ですが、南極は重要な重要な一日でありました。

2月1日は、1年間基地で暮らしてきた隊から、これから1年間基地で暮らす隊へバトンを渡す『越冬交代』が行われる日でした。

 

どうだったのかな?と気になり、代理人はスマホで「南極 越冬交代」と検索しました。

「あ~、出てた」と開いたら、

www.sankei.com

この写真って!!!!!

ご本人じゃぁ、ありませんか!!!!!

 

57次隊員(左)としか表記されていませんが、

これって、ご本人ですよ~。

もう、びっくり。

 

こっちにも

this.kiji.is

こっちにもですよ~。

www.tokyo-np.co.jp

  

ご本人、越冬交代という節目で頭を刈ったのでしょうが、画像からではわかりませぬ。

 

まぁ、とにかく無事に終わったようです、越冬交代。

第57次隊のみなさま、1年間基地の運営、お疲れさまでした。

第58次隊のみなさま、これから1年よろしくお願いいたします。

 

このような記事をみるともう帰ってくるんだ!と思いますが、

南極は日本から直線距離で14,000㎞離れています。

日本に帰ってくるのは3月下旬です。

あと、2か月近くありますね。

南極って、遠い。。。

と改めて感じた一日でありました。

 

ご本人に確認をしたところ、忙しくて散髪はしていなかったそうです。

そう言われても、散髪したのかしていないのか、画像からではわかりませぬ。

 

1月のごはん、そして最後の晩餐

1月になると、残りぐあいを気にせずに食材を使える、と調理担当隊員が言ってましたが、越冬交代までになるべく食材を使い切るには、また別の方向の苦労があったとも聞いています。

おひるごはん。ねぎとろ+まぐろ丼とミニ天ぷらうどんとデザート。ミニ、といってもこのボリューム。

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このラーメン二郎風がっつりらーめんは希望者のみ。私もトライして、完食しました。

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牛肉煮込みとエビマヨに冷奴と山かけのついたばんごはん。

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1月だけで体重が1キログラム増えました。

 

和風のばんごはんです。鰻白焼きと鰆西京焼のセットとは贅沢な。

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31日の夜、「最後の晩餐」はしゃぶしゃぶと海鮮焼きのテーブルをみんなで囲みました。

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ごはんの後は、台所をきれいに掃除して、次の隊に渡します。

一年間、ごちそうさまでした!

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